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実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第109回)      

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

この連載では、自社ブランド商品の開発に挑む企業の事例をこれまでいくつも取り上げてきました。たとえば第18回の樹脂製グラス、第29回の保冷バッグ、第48回のキッチン小物などがそうです。

素材の加工などに長年携わる町工場は、それぞれ高い技術を有しています。ただし、その町工場の顔は隠れていて、一般の消費者はその実力を意識することがまずないのも事実ですね。

そこで、顔の見える商品を開発し、さらには価格設定もみずからの手でなすことのできる自社ブランドを立ち上げようと考える町工場は少なくありません。実際、そうした取り組みが実を結んだ例も、冒頭で挙げたように私は数々見てきました。

とはいえ…。そこからがまた大変なのですね。成功をどう持続させるかという話です。いっとき売れただけで終わってしまわずに、自社ブランド商品をずっと育てていく作業には困難が伴いがちです。追随する商品が出てくるかもしれませんし、商品の鮮度も落ちていきかねませんから。

で、今回のテーマです。織物の街である群馬県桐生市で1892年に創業した朝倉染布が自社ブランド商品として2006年に世に送り出した「超撥水風呂敷ながれ」の話です。価格は3080円からで、風呂敷の図柄は60以上にも及びます。

21世紀になぜ風呂敷? まずはそう感じますよね。発売初年度はわずか1300枚しか売れなかったそうです。でも現在では年間2万〜4万枚規模で推移するほどになり、大事な事業として同社にしっかりと根づいているそうです。

この風呂敷を自社ブランドとして発売しようと考えた発端から、ここまで育ってきた経緯まで、同社の社長に話を聞いてきました。

適正利益を確保するために

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

朝倉染布が長年携わってきたのは、業界内で「染め屋」と呼ばれる工程です。織物や生地に加工を施して、次の工程を担う事業者へとつなぐ、そんな役割を果たし続けてきました。とりわけ撥水加工を得意としていて、大手メーカーと協業するなかで、ほかの町工場がまずキャッチアップできないような技術をものにしてきたといいます。オリンピックのメダリストたちが着用する競泳水着の加工も手がけてきたほどでした。ただし…。社長はこうも話します。

「私たち『染め屋』の立場は大変です。利益がなかなか確保できません」

それで、2000年台の前半に、社長は決断します。

「生地を自律的に仕入れて、私たちの考えのもとで加工して商品化まで進め、それを消費者に直接売ろう、と…。そこにリスクはもちろん生じます。大手メーカーの依頼で加工するのとは話が違います。それでも実行しようと考えました」

商品の仕様も、そして価格も、自分たちの手で決めようとしたのですね。でも、無名の町工場が挑むには高いハードルです。展示会などに出ても、すぐに誰かが振り向いてくれるとは限りません。

社長が自社ブランド商品の開発を模索するなかで、アロハシャツやケープを製作して販売を試みました。が、失敗に終わりました。

「いまから思えば、強いコンセプトワークがそこにありませんでした」

ではどうするか。当時の役員が「これはいける」と強く提案した企画がありました。それが風呂敷だったといいます。

「その役員の熱量がすごかったんです。『自分が欲しいのはこれだ、欲しいものをつくりたい』と」

社長はその熱意に反応します。ただ、それでも不安は残ったとも…。

「風呂敷って、誰がどう使うのか、見えませんでしたね」

それでも役員は粘ったそうです。朝倉染布の得意分野である撥水技術を生かしきろう、撥水加工した風呂敷はとても使いでがあると力説したと聞きました。

あえてシンプルなままで

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

商品は完成し、2006年に発売となりました。商品化の提案をした役員たちは、それまで臨んだことのなかった営業活動に取り組みます。

「これまでは大手メーカーを相手に加工賃の交渉をしていた担当者たちが、小売の商売に挑んだわけです。その方法をみずから学んで、ドブ板営業をかけ始めました」

営業に回る担当者たちは、この「超撥水風呂敷ながれ」に水を入れて3時間そのまま保ったという実験結果まで携えてアピールを続けました。展示会にも出展し、それを訴求したともいいます。

「だったら、と、私は展示用の装置をつくりました。風呂敷の上から水をかけ続けて撥水力をその場で見てもらうためです。これを展示会に出るたびに活用しました」

それでも、発売後23年は爆発的な伸びというほどには至りませんでした。

「世間からするとキワモノなんですね。どうして撥水の風呂敷なんだ、と」

まだ年間1万枚のレベルには届いていません。ここで社長は考えました。既存の小売店に売り込むのではなくて、通販ルート中心に舵を切るのはどうかと思い立った。そのほうが、この風呂敷の特性をつぶさに伝えやすいから、という判断でした。確かに、写真やテキストでいくらでも説明できるプラットフォームであるというのが通販ですね。

「いまどき、風呂敷をどう使ってもらうか。そこが勝負でした」

どうしたのか。社長の考えはひとつでした。

「風呂敷にフックをつけたり、形を変えたりはしたくありませんでした。用途を狭めてはもったいないからです」

ああ、いまから思えば、ここはひとつの分岐点だったかもしれませんね。風呂敷の生命線とは、考えてみると、いつでもなんでも好きなように包み込めるというところにありますから…。シンプルなつくりの商品だからこそ、そのシンプルなところを変えないのがよかった。この段階で焦って、風呂敷の持ち味を損なうような急ごしらえの変化をつけなかったのは賢明だったと感じます。

すべての組み合わせを試す

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

さらに社長は、2010年代に入って、撥水加工技術のブラッシュアップに着手します。

「環境規制の問題から、加工に使う薬剤を見直す必要に迫られたんですが、せっかくなら撥水のレベルも同時に上げようと決断しました」

そこから3年、必死に研究を重ねました。

考えられる薬剤をすべて残らず組み合わせて試したんです。そこに躊躇はありませんでした

言葉にすれば簡単ですけれど、相当に苦しい試行錯誤であっただろうと想像できます。その間にもどんどん新しい薬剤も登場してくるでしょうから、そのたびにまた組み合わせを試さないといけません。それでも…3年後にはより強力な撥水技術を会得できたそうです。

こうした経緯を聞いて思い出したのは、連載の第10回で綴った愛知ドビーの大ヒット商品「バーミキュラ」の話でした。2000年代当時、鋳物にホーローがけを施す技術を有していたのはフランスのル・クルーゼくらいで、日本国内では大手どころにも無理だったそうです。それを愛知ドビーは3年間かけてものにします(偶然ですが、今回の朝倉染布と同じ、3年間ですね)。愛知ドビーの副社長に聞いたら、やはり「考えられるすべての組み合わせを愚直に試し続けた」のだそう。

愚直にすべての組み合わせを、というと、なにやら根性論礼賛のようにも聞こえかねませんけれど、私はそうは思いません。覚悟を決めて、みずからの会社の存続をそこに賭けるには、こうした作業がときとして必須になるという話であると私には思えます。

話を戻しましょう。「超撥水風呂敷ながれ」は、新たな撥水技術のもとで加工され、2010年代半ばから、さらなる営業攻勢をかけます。すると。売れ行きが大きく跳ねました。全国ネットのテレビ番組がこの風呂敷を取り上げ始めたのでした。

それは確かに偶然の幸運だったかもしれません。でも、その偶然を掴むだけの努力を続けていたからこそなのではないか、と私には思えました。

変えなかったのは、どこ?

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

それをきっかけに「超撥水風呂敷ながれ」がロングセラー商品への道を歩み始めます。

ここで確認したいことがあります。ロングセラー商品に共通することのひとつとして、「なにを変えて、なにを変えないかの峻別」をしっかりと踏まえたという点が挙げられる、と私はいつも考えています。では、この風呂敷の場合には、途中でなにを変えて、なにを変えなかったのか。

「まず、発売2年後に外部デザイナーを起用しました。デザイン(図柄)に力を注ぐことが急務と考えたからです。そしてもうひとつ。これは2020年からの話ですけれど、この風呂敷を担当する女性チームを編成しました」

ああ、現在は女性社員がこの商品を担っているのですね。

この風呂敷のユーザーの9割が女性という背景もありました。「超撥水風呂敷ながれ」の初代担当は、これを熱い思いで発案して営業をかけた当時の役員です。でも思いだけで売っていけるのは初代担当だからこそです。ここからはユーザーの気持ちにも寄り添うことが必要となります

3年前から担当となった女性社員たちは、サイトをリニューアルし、洒脱なリーフレットを制作して使い方の提案も積極的に進めました。「風呂敷の正統進化」「水を撥じく布」といったキャッチコピーが秀逸と感じさせます。

ユーザーたちは、スポーツジムの帰り道にこの風呂敷で汗をかいたウェアを包んだり、ワインや日本酒のボトルサックがわりに使ったり、と、さまざまな使い道で「超撥水風呂敷ながれ」を生かすようになっています。

さて、ではなにを変えなかったのか。

「ひとつめは国産である点です。プリントも撥水加工もここで施しています。ふたつめは『値段勝負』をしていないことでしょうか」

なぜか。まず自社での加工というのは、いたってシンプルな理由でした。

「この会社の強みを生かすための風呂敷なのですから、ウチがつくったものでないと意味をなしません」

また、たとえ売り残しが生じても廉売はしてこなかったのは、それがブランドの維持につながるから、という判断でした。

ギネス記録に挑み、成功

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

この風呂敷、コロナ禍ではどうだったのでしょうか。

「それが、全くだめという状況ではなかったんです」

店舗での販売は厳しかったとはいえ、通販でむしろ若干の伸びを見せたそうです。レジ袋の有料化で風呂敷にも注目が集まったという背景もあったからでしょう。

ここで社長は再び動きます。コロナ禍の状況下ではありますが、ギネス記録に挑戦しようと準備を始めたのでした。

100人で100メートル、100リットルの水を「風呂敷リレー」で運ぶタイムで記録を打ち立てよう、と考えました

この風呂敷であれば水は漏れませんから、リレーで侍るのですね。2021年の12月、このイベントは無事に催され、ギネス世界記録を達成できました。各種メディアで取り上げられていましたから、覚えている方もいらっしゃるかもしれませんね。

「この記録達成によって『超撥水風呂敷ながれ』そのものが急に売れ行きを伸ばしたほどとはいえませんでしたけれど、企業からのOEMの問い合わせはかなり増えました。その意味でも成功でしたね」

強みを形にしたかったから

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

この風呂敷がロングセラー化していった道のりを知ると、成功するべくして成功したようにも思えますが、そのあたりはどうなのでしょう。社長はこういいます。

「いえ、2000年代当時は、みずからの商品を企画立案して売ろうという気運は、この会社のなかにありませんでした。私自身、『できないかも』と正直どこかで思っていたほどです」

それほどまでに、この業界の風土といいますか商慣行は、固定化したものだったのですね。でも、そこに当時の役員が思いきって風穴をあけ、社長はそれを生かそうと矢継ぎ早に策を繰り出した。先ほど「成功するべくして成功した」と私が表現したのは、まさにその点にあります。

2006年の発売当初、売れ行きが芳しくなくても動きを止めませんでした。慣れない小売向け営業に果敢に挑み、外部デザイナーを起用し、その一方で撥水技術の研鑽にも粘り腰を見せた。展示会でディスプレイする撥水アピールのための装置もつくりあげた。そうやって手を止めなかったからこそ、発売10年近く経ったタイミングで、全国ネットのメディアが振り向いた。

もうひとつは、この商品に同社の強みをしっかりと反映させたところでしょうね。

そうです。「超撥水」こそが私たちの強みであり、譲れない一線です。これを商品という形を通して伝えようとしたのがこの風呂敷です

そこを一貫してぶらさずにきたことも、ロングセラーの道を歩めた大事な要因だったのですね。なにをアピールするかという点で迷いが出ないわけですから。

売上高の10%を担うまでに

自社ブランドで攻め続ける!(朝倉染布株式会社)

現在、朝倉染布の売上高のうち、この「超撥水風呂敷ながれ」の占める割合は10%ほどだといいます。この数字を社長はどう見ますか。

「期待以上です。ここからさらに20%、30%と伸ばしていきたい」

この風呂敷がここまで同社のなかで重要な位置づけとなれたのは、発案した当時の役員の執念の賜物であり、それをサポートし続けた社長の姿勢の成果でもあるでしょう。既存の事業だけでは先は明るくないと見据え、歩みを止めなかったのが大きかったともいえます。

商品が売れるってことは。それが世の中の役に立てていることの証でもあります。その意味で、この風呂敷をつくり続けてきてよかったと思います

重みのある言葉と、私は感じました。

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