とっても面白いバングラデシュ
2022年のバングラデシュ人民共和国における最大のニュースの一つは、12月に予定されている同国の首都ダッカにおけるメトロ開通になるだろう。メトロといっても、地下鉄ではなく地上を走行する鉄道システムだが、渋滞に悩む多くの新興国では切り札として機能しているものである。
このメトロについては、日本のODAが大きく貢献していて、資金援助を独立行政法人国際協力機構(JICA)が行い、車体は川崎重工業株式会社の製造である。
私は以前ダッカの隣のナラヤンガンジ市というところに住んでいた。ダッカ中心部までわずか20キロほどの場所だが、当時は渋滞などにより車で2~3時間ほどもかかった。その後道路事情も改善されてきたが、今回のメトロ開設でさらに便利になり、経済発展も見込まれることだろう。
バングラデシュは、自然は豊かなものの歴史的な観光地は少なく旅行する人は多くない。また、進出企業もまだ少ない。そのため、一般になじみが深いとは言いがたいが、日本とのかかわりが深く、さらに今後より一層重要な役割を果たすと考えられる国の一つである。
バングラデシュ基礎情報
バングラデシュの特徴は人口密度の高さである。1.6億人を超える人口が14.7万平方キロメートル(北海道と東北地方をあわせた面積よりやや狭い)という決して広くはない国土にひしめき合っている。
インド共和国からバングラデシュへと流れ豊かな水資源をもたらすガンジス川流域は極めて人口保持力が高く、インド側でも人口2.4億人を擁し世界最大の地方自治体であるウッタル・プラデシュ州をはじめ、ビハール州(人口1億人)、西ベンガル州(人口9千万人)等、国家レベルの人口を抱えた州がいくつも存在する。
その河口に位置するバングラデシュもまた豊富な水資源と温暖湿潤な気候を活かした米の生産が盛んであり、「Aush」「Aman」「Boro」の三種類の米による三期作が可能である。米国農務省のデータによると年間約3500万トンの収穫量を誇り、約750万トンの日本の4倍以上にもなる。この豊富な収穫が上述の人口を支えている。
しかしながら、ガンジス川流域エリアの巨大な人口が現代社会では足かせになる傾向もある。バングラデシュも、後述する政治的な混乱の影響もありインドに比べて1人当たりGDPは低く、例えば10年前の2012年ではインドの1,443ドルに対し、883ドルだった。そうしたことから、国際貿易上はLDC(Low Development
Country)として、関税優遇の対象になってきた。
豊富かつ安価な労働力かつ関税優遇は労働集約的な産業にとって魅力的であり、UNIQLOの進出などで日本でも知られているように、縫製業が盛んな地域となっている。輸出先は日本より欧米向けが多いため、特に
ZARAやH&M等欧米資本の衣料品店での商品タグを見ると「Made in Bangladesh」の文字をしばしば見ることができる。
バングラデシュの歴史
歴史上、ベンガル地域の東側でしかないバングラデシュの領域が1つの国家として独立していたことはほとんどない。現在のバングラデシュの国土にあたる領域が成立したのは、1905年にイギリスがベンガル州を西のヒンズー教地域と東のイスラム教地域に分けたベンガル分割令がはじめであり、20世紀に入ってからのことと言える。
そうした経緯からバングラデシュの領域内に国の都があった期間というのはほとんどなく、歴史的な観光資源にも乏しいエリアである。そのため、バングラデシュの歴史としては、1971年にパキスタンから分離独立をした独立戦争が重要であり、ダッカの国立博物館に行くと、かなりの展示が凄惨な独立戦争の記録で占められる。
独立後のバングラデシュは、現在のシェイク・ハシナ首相の父である建国の父ムジブル・ラーマン率いるアワミ連盟(以下「AL」)政権、さらにムジブル・ラーマン暗殺後にジアウル・ラーマンが率いたバングラデシュ人民党(以下、「BNP」)政権と続いた。
その後、1983年から1990年まで続いた軍人出身のエルシャド大統領による独裁政権があったが、基本的にALとBNPという二大政党が長らく対立を続けてきた。
この二大政党制は、非常に問題のある体制であり、両党の対立は広範な選挙不正や、ハルタルと呼ばれる車両への放火などを伴う暴力的なデモを伴い、選挙のたびに国中に大混乱を引き起こした。
私は2014年の選挙の際にバングラデシュ国内に在住していたが、ハルタルに通勤中の従業員が巻き込まれないよう工場は早朝7時に操業を開始するなど、対応に追われていた。
しかしながら、2014年総選挙の際に、BNPが与党の選挙不正を訴えて選挙をボイコットしたことにより、ALとジャティヤ党(エルシャド独裁政権時の与党、以下「JP」)が9割近い議席を占める体制が安定した。このボイコット戦略は結果的に大きな失敗であったと言え、ハルタルの被害に辟易した国民からの支持を得たシェイク・ハシナ首相のAL一強体制による政権が続いている状況である。
バングラデシュに注目する理由
バングラデシュの経済については、①高い経済成長率を維持していること、②ODAやインフラ輸出の行き先であること、③少子高齢化が進む日本にとっての人材供給基地となる可能性があること、の3点が注目される。
① 高い経済成長率
もともとバングラデシュの成長率は低くはないが、政権が安定した意味は大きく、2014年以降は世界銀行のデータによると以下図表のようにさらに高い水準を推移している。これにより、1人あたりGDPは2,503ドルと、インドの2,277ドルを上回るまでになった。2026年にはLDCから脱却する見込みである。
前述の通り、私はナラヤンガンジというところにいたが、2014年選挙から数年たったタイミングで再訪した際、道路の整備が格段に進んで、かつてダッカから2~3時間かかっていた道が半分程度の時間で行けるようになったので驚いた記憶がある。
② ODAプロジェクト・インフラの輸出先
バングラデシュは日本からのODA等によりインフラ輸出先としても注目される場所である。ハルタル等の事情はあるものの、三方を大国インドに囲まれている地理的事情もあり、アフリカのように内戦が頻発するようなことにはなりがたい。
そのため、ODAプロジェクトを進めやすい地域である。2014年には当時の安倍晋三首相が6,000億円の支援を約束していて、JICAを中心に前述のダッカメトロに加え、ジャムナ鉄道専用橋プロジェクトやマタバリ港開発事業等、大規模プロジェクトが進行中である。
日本からのODAが国の発展に貢献してきたこともあって、極めて親日的な国であることも知られ、シェイク・ハシナ首相が2019年に来日した際、父親のムジブル・ラーマン元大統領が、日本の国旗を参考にバングラデシュの緑地に赤丸(正確には赤丸はやや左に寄っている)の国旗を決めたというエピソードを紹介しているほどである。
③ 人材獲得の主要候補地
前述のように、バングラデシュは狭い国土に多数の人口を抱える国であり、人が海外に出ようとする圧力が働く。バングラデシュからの人の流れはイギリス連邦や中東諸国への行き先とすることが多く、日本への渡航は未だ限定的ではあるが、在留外国人統計を見ると、その数は徐々に増えつつあり、今後身近になってくる国であると考えられる。
バングラデシュの言語であるベンガル語を含む南アジア諸言語は日本語とは極めて文法的に近い言語であり、インド南部のタミル州で話されるタミル語を日本語の起源とする説が、一時、言語学界で注目されたほどである。
例えば、「私は、今日、学校に行く」と言いたい場合、ベンガル語では「アミ(私)アジ(今日)スクーレ(学校に)ジャボ(行く)」と単語を置き換えれば通じる。また、英国の旧植民地であり、英語教育も広範に行われているため、英語の単語は理解されやすく、ベンガル語の単語を知らなくても英語の単語を当てはめれば何とかなってしまうことも多く、日本人にとっては学習しやすい言語であると言える。
この文法が似ているというメリットはバングラデシュ人が日本語を学ぶ場合も同様であり、将来的な人材供給基地としてのバングラデシュの潜在性を高めている。
そうした意味でも、今後も目が離せない国である。
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