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実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第70回)

苦しみも成果もシェアする!(若鶴酒造株式会社)

苦しみも成果もシェアする!(若鶴酒造株式会社)

今回の原稿、分量がいつもより長めなこと、お許しください。ウイスキーの話なんですが、真にお伝えしたいのは、ウイスキーに限らず、それぞれの業界に長らく根づいている企業がなすべきことってなんなのか、というテーマです。ウイスキーに興味のない方にも、ぜひお付き合い願いたいと思っています。

国内のウイスキー業界は、この10年強で反転攻勢をみせていますね。2000年代半ばには「ウイスキー冬の時代」といわれ、右肩下がりの状況でしたが、その後、見事に市場復活。現在では、新規開設や稼働復活などを含めて、全国に40近い蒸留所が存在するまでになっています。

日本国内のウイスキー業界がたどってきた流れを、まずざっとご説明しましょう。

第二次世界大戦後、コメ不足に見舞われた時期、国内各地にあった日本酒の酒蔵は存続の危機に直面します。その状況を打開しようと、少なからぬ酒蔵はウイスキーなどの蒸留酒づくりに着手しました。そうした事情があって、いわゆる「地ウイスキー」と称されるような小規模生産のウイスキーが、かつては各地域に存在していました。

ところが、1989年、酒税法の改正によって、地方で細々とつくられていたウイスキーは壊滅的な打撃を受けます。等級制度が撤廃されたことで、従来の「2級」ウイスキーの価格競争力が削がれ、地ウイスキー生産から大半の酒蔵が撤退せざるをえなかった。さらに2000年代半ばまでの間、消費者のウイスキー離れが進みます。

ただし……。ウイスキー離れという状況下でも、実はシングルモルトウイスキーはそれなりにファンの心を掴んでいる事実もありました。そこを拠りどころにしたかのように奮闘したのが、第15回で綴ったベンチャーウイスキーです。また、大手酒造メーカーもウイスキーの手軽な飲み方を提案し続けるなどし、2000年代後半から、市場は盛り返しました。いや、盛り返すどころか、ジャパニーズウイスキーの実力が国内外で知られるにしたがって、新しくウイスキーづくりに参戦する蒸留所もぐんぐんと増えていきました。ウイスキー輸出額も驚異的な伸びですし、ここまでの活況となっているのは過去になかった話でしょう。

元来、ウイスキーづくりに新規挑戦するために蒸留所を新たに立ち上げるのは無謀ともいわれていました。かつての市場性もさることながら、初期投資を経て、最初の売り上げが立つまでに、例外を除くと、最短でもふつう5年はかかるからです。その間に入ってくるお金は、(短期熟成酒を販売しない限りは)まずありません。設備を入手し、人材を集めるのに1〜2年。製造免許の取得も不可欠です。そして原材料を買い求めたうえで、ここから第1号商品の発売に向けて糖化・発酵・蒸留・熟成するのにさらに原則3年かかります。

小規模であっても、そうした新規の蒸留所が多く育つことは、ウイスキー業界にとっていい話でもあります。そこに切磋琢磨があれば、それぞれの蒸留所がよりよい成果を築けるわけです。ただ、いま挙げたように、脆弱な経営基盤の新規蒸留所にとっては、決して平たんな道のりではありませんね。

社内でも当初は理解されず…

苦しみも成果もシェアする!(若鶴酒造株式会社)

前置きが長くなりました。今回の話は、こうした波乱万丈の業界にあって、戦後からほぼ一貫して、地域発のウイスキーをつくり続けてきた酒蔵の物語です。ここの5代目が、2016年から現在までの5年間で、矢継ぎ早に「世界初」「日本初」を連発しているんです。

私はこの5代目の取り組みを、またずいぶんと思い切った動きをするなあ、といったくらいの感覚で眺めていたのですが、今回改めて話を聞いて納得したというか驚きました。結論を先に言ってしまうと、次々と繰り出した施策の大半は、ウイスキー業界、それも、小規模な事業者と連携しながら業界全体を成長させるためのものだという話でした。

富山県砺波市にある老舗日本酒蔵の若鶴酒造の敷地内に、戦後から稼働してきた三郎丸蒸留所が佇んでいます。ここの5代目の取り組みを順番に紐解いていきましょう。

まず、2016年、同社は55年物というマニア垂涎のシングルモルトウイスキーを発売します。ページ冒頭に画像を掲載した「三郎丸1960」です。限定155本でしたが、予約開始の直後に4倍もの購入希望者が殺到し、抽選となりました。55年物というのは国産ウイスキーでは極めて稀少な存在であり、それだけに話題をさらったのでした。

その値段は……税別で55万円です。びっくりする価格でしょう。いや、すごく安いという意味で、です。55年物のシングルモルトなんて、1本数百万円の値づけだって珍しくないですからね。またなぜ、こんな値段で?
5代目はいいます。

「悔しかったからですよ」

5代目によると、ウイスキーに逆風が吹きすさぶ時代でも、ずっとつくり続けてきたのに、地元の人でさえ「まだウイスキーを製造していたの?」と尋ねてくることが多かったそうです。それが実に悔しかった、と……。だから、同社が途中でついえることなく、ずっとウイスキーづくりに携わっている経緯を広く伝えるために、このシングルモルトを世に出した。

「家業に戻って、資料を紐解いたら、昭和35(1960)年に蒸留された樽が残っていることがわかりました。だったら思い切って、いまこそ出そうと」

値段を55万円にしたのは、「あくまでシャレだった」といいます。55年物だから55万円。でも、社内から反発はなかったんですか。“1本わずか55万円”で販売するなんてもったいない、というふうに。

「いや、全く逆でした。社内からはむしろ『高すぎる』といわれました。さらには『そんな古いウイスキーなんて売れるはずがない』とも」

ああ、当時の社内では、日本酒蔵としての発想にとらわれていたのかもしれませんね。ウイスキーの場合、古いことに意義があるのに……(いや、日本酒でも近年は長期熟成酒の価値が高まっていますけれど)。

5代目が次に手がけたのは、戦前に移築したままで生きながらえていた三郎丸蒸留所の建屋の改修でした。これも「三郎丸1960」を出したのと同じ、2016年の話です。手を緩めなかったのですね。クラウドファンディングで支援を集める判断をし、3825万円も獲得できました。目標は2000万円だったといいますから大成功でしょう。

「改修に必要な総額は1億円です。クラウドファンディングは、私にとってまさに背水の陣でした。ただ、ここでクラウドファンディングからの後押しがあれば、それが『元気玉』のような役割を果たしてくれて、残りの額の投入について社内も納得すると考えていました」

地元職人の手でウイスキー樽を

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蒸留所の改修を果たした後も、5代目は動き続けました。今度は、地元産のミズナラを用いて、これまた地元の木工職人にこしらえてもらうという、ウイスキー樽づくりのプロジェクト立ち上げでした。最初の樽が完成したのは2019年です。

「もともと、国内で樽を作っている企業は1社くらい。修理してもらうのにも難儀する状況でした」

ウイスキー蒸留所が急増しているさなかでもあり、樽が払底するのは目に見えていた。だから5代目は動いたというわけです。

「製造を担ってくれる職人さんを探すのも大変でしたし、ミズナラを切り出してくれる事業者と連携するまでも難儀しましたね」

それでも樽づくりに踏み切ったのは、みずからの蒸留所を守るため?

「いや、業界全体のためでもある」

そうですね、樽の調達に困っているのは、なにも5代目の蒸留所だけではない話ですからね。

「ウイスキーづくりにとって、樽は単なる熟成用の容器ではないんです。原材料なんです。樽の香りが、その中で寝かせるウイスキーに働きかけるから」

蒸留器まで開発してしまった

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さあ、ここからが「世界初」の話です。なにか? 5代目はウイスキーづくりに絶対欠かせない蒸留器(ポットスチルといいます)まで開発してしまったんです。数年がかりで地元の職人と手を携え、2019年に商品化できた。

何が世界初かというと、その蒸留器って鋳物なんです。鋳造ということ。ウイスキー蒸留器は元来、鍛造です。薄い銅の板を叩いて完成させます。それを世界で初めて、型からつくりあげる鋳造で完成させてしまった。

若鶴酒造と隣り合う街に高岡があります。そういえば、その高岡で伝統産業に携わる人々の話をこの連載で綴ったこともありました。第52回の高岡伝統産業青年会でしたね。

高岡は鋳物の街であり、だからこそ5代目は鋳造の蒸留器開発に着手できた。でも、ですよ。本場スコットランドでは鍛造の蒸留器がもっぱらですよね。いくら鋳物の街がそばにあるからといって、鋳造で蒸留器を開発するのってリスクがありませんか。

「事前に何度も何度も、小さな試作器で実験しました。そうしたら、なんと鋳造の蒸留器のほうが、ウイスキーの味が美味しかったんですよ」

私のような門外漢からすると常識はずれにも思えるプロジェクトですが、そこにはちゃんと、見逃せない、とても大きな利点があったのですか。

「利点はまだまだあります。既存の鍛造の蒸留器だと、製造に8カ月は要るといわれていますが、型のある鋳造であれば、短期で完成できます」

しかも、ウイスキー業界は近年、国内外ともに活況ですから。スコットランド製の鍛造の蒸留器を注文しても、当時は2〜3年待ち。国内の蒸留器を求めても1年待ちが当たり前。

「新たに立ち上げるウイスキー蒸留所にすれば、そこまで待てませんよね。ならば、鋳造の蒸留器を開発してしまえば、そうした新規参入の蒸留所への助けにもなるだろうと決断したんです」

それでも……。老舗とはいうものの1軒の蒸留所が、まだどこも開発していない鋳造の蒸留器をつくろうとするなんて、リスクが大きすぎませんか。

「いや、みんなと同じことをやっているほうが、よほど経営上のリスクはあると思います」

そこまで思い切った判断をした、ということですね。この5代目の言葉を聞いて、同じ富山県で奮闘する実力派シェフが山奥のそのまた奥でオーベルジュ経営に挑んでいる第62回のL'évoを思い出しました。ここのオーナーシェフは「たとえどこに店を構えようと、リスクはつきもの」と語っていましたね。つまり、経営者には経営者それぞれによるリスク定義が不可欠ということだと感じさせます。

話を蒸留器に戻しますね。鋳物の蒸留器にはメリットがまだまだ備わるそうです。素材が分厚いですから、寿命が明らかに長い。そしてその割に価格は高くない(薄手の素材でつくる既存の蒸留器と変わらない)のだそうです。

これって、新規参入のウイスキー蒸留所には魅力のある話であると思わせます。

コロナ禍で立ち上がった

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それにしても、です。新しい蒸留器を、高岡の鋳物職人とともにみずから開発することに、社内からの反対の声は挙がらなかったのでしょうか。どうやって説得を進めたのでしょう。

「説明はします。でも、説得はしなかった」

周りからは理解されないことを覚悟していたといいます。社内のお金を動かすのですから説明は絶対に必要。ただし、説得するという意識はあえて捨てたそうです。で、実際に蒸留器が完成すると、やはりいくつもの蒸留所から問い合わせが来た。その数、実に40軒にものぼり、すでに受注に結びついた案件もあるそうです。私には、このプロジェクトが、ウイスキー蒸留所の助けにもなり、また同時に、高岡の地場産業の助けにもなったのだと思いました。

「なにかを独り占めするのではなくて、みんなでシェアするという意識は大切だと考えています」

5代目は何度もそう話します。

さあ、ここからは昨年〜今年(2020〜2021年)の、同社の取り組みです。

2020年春、コロナ禍が国内を襲いました。医療機関で消毒用のアルコールも払底する状況が大問題となった時期です。

5代目はすぐさま「自分たちになにができるか」と考えをめぐらせました。ここには原料用アルコールがある。瓶詰めできる設備もある。酒造会社だけに衛生管理のノウハウもある。だったら高濃度のアルコールをボトリングして販売しよう、と決断します。

ところが、思わぬハードルがそこにありました。薬機法の壁、酒税法の壁、そして生産するうえでの消防法の壁でした。医療機関の危機的な状況を考えると、手をこまねいている時間はそうない。どうするか。

酒類としての体で出すことにしました。飲用可のアルコールだけれど、消毒用にも使えることを、ぎりぎりの表現で伝えようと考えた

時間がありませんでしたから、ボトルのラベルデザインなどは5代目自身が手掛けたそうです。「飲み物の顔をしているけれど、消毒でも使えることを、なんとか言外に伝えないといけませんでした。商品名のフォント(書体)を、学校の理科などで用いる薬品風のものにしたりですとか」

2020年4月9日に製造開始。酒造会社として、これは全国で2番目という早い取り組みでした。で、5代目は高濃度アルコールの製造だけで手を止めたわけではなかった。その後に続くであろう酒造会社のために、製造・販売のどこにハードルがあるかを綴ったテキストをウェブサイト上に掲載しました。また、行政当局にもハードルの緩和を求める原稿を載せました。さらには、各地の医療機関からの問い合わせにすぐに応えられるように、全国の高濃度アルコール生産事業者のマップまで作成して、これもウェブサイトに掲載しました。

「うちから発送するより、その医療機関の近くで手配されたほうが、時間も早いし、配送時のボトル破損の問題も軽減されますからね」

こうした5代目の奮闘に共鳴した富山県内の別の酒造会社が、高濃度アルコールのボトル詰めを手助けしようと手を上げてくれたそうです。上の画像で3本並んでいる高濃度アルコールのうち、いちばん右のものは商品名が異なりますね。これがそれにあたるそうです(若鶴酒造があるのは「砺波野」です。手助けしてくれた酒造会社があるのは「岩瀬野」)。

5代目の訴えが功を奏したのでしょうか。行政当局もハードルの緩和を急ぎ、「飲用不可」とすれば酒税にかからない措置をとりました。上の画像の真ん中の商品は、それを受けて販売開始したものです。「飲用不可」と大きく記されていますね。

原酒交換がもたらすもの

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2021年に入り、5代目は新たな動きを進めました。それは、国内のウイスキー蒸留所同士が原酒を交換して、それぞれをブレンドし、お互いに商品化するという取り組みです。

こうした原酒交換、スコットランドでは定着していますが、日本国内ではまだ実現していなかったといいます。なぜ原酒交換に踏み切ったのか。

「国内のウイスキー産業がしっかりと根づき、成長していくには、産業構造そのものもスコットランドに学ぶべきと考えたんです」

つまり、こういう話です。ひとつの蒸留所でつくれるウイスキーには限りがあるますね。ちいさな事業者なら、なおのことです。でも、それでは味に多様性が生まれにくい。5代目が話すには、スコットランドのウイスキーに多様性が備わっているのは、原酒交換の慣習が定着しているからだそうです。

「クラフト系のちいさな蒸留所が国内に増える機運があるからこそ、これから頑張るそうした蒸留所の支えとなる施策も考えないといけません」

なるほど、その施策のひとつが原酒交換なんですね。そしてまずはみずからが始めないといけないと考え、国内で初となる原酒交換を実践した。

「確かにいま、国内のウイスキー市場は元気です。でも、産業としてみると、あやうい部分も潜んでいます。だったら私たちが業界のためになにをなすべきか、という判断もありました」

ボトラーズ事業開始の深い理由

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そして、さらに2021年、5代目は地元のウイスキー販売事業者と手を携え、「世界初、ジャパニーズウイスキー専門のボトラーズ事業」と銘打ったプロジェクトを発表します。

ボトラーズというのは、蒸留所から原酒のまま買い取って、蒸留所とは独立したかたちで独自にウイスキーを熟成する事業者を指します。そして、ボトラーズ物として、独自熟成を経たウイスキーをボトル詰めして販売します。これもまた、スコットランドでは当たり前となっている事業形態です。

「そうです。スコットランドでは、こうした分業体制が定着しているんですね」

でもなぜ、自前の蒸留所を有している5代目が、ボトラーズ事業に乗り出したのか。

「国内に生まれた、ちいさな規模のウイスキー蒸留所に、ウイスキーづくりに専念できる体制をつくってほしいからです」

そういうことですか。少し補足しましょう。先ほど触れたように、新規のウイスキー蒸留所にとって、事業を立ち上げて最初のお金が入るのはずいぶんと後になりますね。でも、ボトラーズが、そうした蒸留所から原酒の状態で購入したならば、その段階で蒸留所にはすぐさまキャッシュが入るんです。そうなると、蒸留所は、より集中してウイスキーづくりに邁進できます。

「ウイスキー産業全体でリスクをシェアしましょう、という話です。ボトラーズが一定のリスクを担えば、ちいさな蒸留所はあらゆる意味で奮闘の糧を得られます」

リスクのシェア……そこにはもうひとつの意味もあるそうです。

「蒸留所を設立するところまでの資金力がなくても、ウイスキー産業で頑張りたいという人材がいたとしますね。私たちのボトラーズが、そうした人に貯蔵庫の一部を貸し出したり、ボトル詰めの設備を共有できたりする仕組みを整えれば、お金はなくとも優秀でやる気のある人を、このウイスキー産業にいざない、新たなボトラーズとして活躍してもらうこともできるんです

逆境のときにこそ投資せよ

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5代目は最後に、こう話します。

「うちには家訓があります。それは『逆境の時にこそ投資せよ』です」

同社の3代前、こんな逸話があったそうです。昭和初期の金融恐慌が日本全国を襲った場面で、同社はあえて大金を投じて深い井戸を掘ったといいます。こういうときこそ品質が肝心と考えて、日本酒の仕込み水のレベルを上げようとしたというのですね。そして、その策は当たり、若鶴酒造は生き延びた。

逆境のときにこそ問題点が露わになります。ということは、露わになったその問題をクリアすればいいと考えられます

そうか、逆境の局面に差し掛かったときに問題を見極める作業が極めて大事というふうにも言い換えられますね。

国内のウイスキー業界はいま、逆境どころか順風満帆に映ります。でも、逆境期を幾度も経てきた同社だからこそ、現在はさほど目立たないウイスキー業界の課題を敏感に感じ取ることができた。しかも、いくら業界全体が好調といっても、新規参入のウイスキー蒸留所にとっては厳しい競争にさらされての船出ともいえます。

ならば、古参の蒸留所はなにをなし、どう業界全体を支えるべきなのか。若鶴酒造の5代目が挑み続けている取り組みの背景を読み取れば、そこから答えが見出せそうです。

北村 森

北村 森

商品ジャーナリスト
サイバー大学IT総合学部教授
(元・日経トレンディ編集長)

PROFILE

富山県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。

月刊誌「日経トレンディ」編集長を経て、2008年に独立。
以来、商品ジャーナリストとして活動。製品・サービスの評価、消費トレンドの分
析、地方自治体や商工団体と連携する形で地域おこしのアドバイザー業務に携わっ
ている。
2015~2016年、第1回「だれかのために考えた発明品アイデアプロジェクト」
(東大阪ブランド推進機構)の総監修を担当し、全国からの反響を呼ぶ。
著作である『途中下車』は、2014年にNHK総合テレビにてドラマ化された。
2017年にはサイバー大学IT総合学部教授に就任(地域マーケティング論)。

中日新聞/東京新聞「北村森のモノめぐり」、NTT東日本「経営力向上ラボ」、
家電批評「北村森のヒット商品虎の穴」、FCC REVIEW「旗を掲げる! 地
方企業の商機」などの連載コラム執筆に携わるほか、NHKラジオ第1「Nらじ」な
ど、テレビ・ラジオ番組でのコメンテーター、ゲスト出演多数。

ANA国内線「北村森のふか堀り」監修

経済産業省 北海道経済産業局 地域ブランド創出支援事業 チームリーダー
特許庁 地域団体商標広報企画 ワーキンググループ委員
富山県 推奨とやまブランド ものづくり部会 審査委員
日本マーケティング協会 マスターコース講師(マーケティング・コミュニケーション)

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