実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第67回)
売り上げの「質」で守り、攻める!(野川染織工業株式会社)
伝統産業が元気であり続けることの意味を、これまでもこの連載で何度か綴ってきました。第52回の高岡伝統産業青年会の事例もそうですし、第64回の中川政七商店の取り組みもそうでしたね。
で、今回は武州の藍染めがテーマです。埼玉県の羽生市で1914(大正3)年から100年以上にわたって藍の天然発酵建てによる染織を続けてきた、野川染織工業の話。
武州の藍染めというと、剣道着の世界ではよく知られた存在といいますけれど、一般にはなじみが薄いですね。でも、面白い商品があるんです。それも生活に身近な感じられる1着が……。
「たももぱんつ」という愛嬌のある名なんですけれど、商品そのものは相当な本格派です。これは藍染めのイージーパンツ。肌ざわりがすこぶる良いし、身につけていてとても楽です。でも、藍染めの風合いのなせる業か、はいていて昂揚感すら覚えます。私はこれをテレワークの日に使っています。仕事場で過ごすのにちょうどいいんです。
もともとは股引(ももひき)だったんですね。田んぼで仕事する人たちがはいた股引が由来であるために、同社によるこのイージーパンツは、いつしか「たももぱんつ」と呼ばれ始めたいう話らしい。
丈夫で虫除け効果も期待できるために、昔は野良着として使用されていたのが、藍染めの衣服です。かつて庶民がこぞって着用していたのを目にした外国人が、その色合いに感服して「ジャパン・ブルー」と名付けたという逸話も残っているようです。
価格設定には理由があった
この「たももぱんつ」、サイズによって5500円から8250円まで(男性用と女性用があります)という値づけです。私はその値段を聞いたあと、この1着がどう作られているのかを知って驚きました。ちょっと安すぎるんじゃないかと思ったのです。
野川染織工業は、藍液で糸を染めるところから、織り、そして縫製して最終製品を完成させるまでの工程に一貫して携わる、本当に数少ない町工場です。あとから詳しく説明しますけれど、糸を染めるには、藍液に20回は繰り返して浸けると聞きました。それも同じ藍液ではなくて、齢をとった(古い)藍液にまず浸し、そのあと、少しずつ若い藍液へと浸していくという手順をとっている。それが野川染織工業の流儀だそうです。かなりの手がかかっているのですね。こうした工程を経ている「たももぱんつ」が1万円もせずに自分のものにできるのは、ちょっと嬉しい話です。
でも、ここで思うわけです。そんな手の込んだ職人仕事を続けて、事業は成り立つのか。昔のように庶民の誰もが藍染めの衣服をまとっているわけではありません。
野川染織工業の若き5代目が笑いながら、まずは「たももぱんつ」の価格設定について教えてくれました。
「これを『高い』と言いながら購入される人も、『安い』と言って購入される人もいるんです」
ああ、確かに藍染めの工程を知らないままでは、普段使いのためのイージーパンツにしては値が張るなあと感じる消費者もいるかもしれませんね。
「でも、それでいいと思っています。高いなあと思った人がその後も気持ちよくはいてくれたり、藍染めのことをすでによく知る人がやっぱり安いと感じてくれたり……。この値段は、そういうところを狙ってのことです」
社の体質は、むしろ強固に
5代目は大学卒業後、大手繊維メーカーに入社。2018年の春に退社して、家業に入ったそうです。跡を継ぐ肚は決まっていたといいます。
ここで、5代目のお父さんで、代表として社業を現在引っ張っている4代目に話を聞いてみました。息子さんが家業に入ってくれたのは嬉しいでしょうけれど、藍染めの世界を取り巻く環境は厳しいのでは?
「そうですね。1990年には年3億円弱の売上高がありましたが、このところは半減です。しかも昨年(2020年)はさらに、その2割減でした」
やはり、伝統産業は窮地に追い込まれているのでしょうか。
「いや、2000年以降は考えを改めました」
どういうふうに?
「無理して売り上げを追わないように意識したんです。伝統産業って、売上高がそう伸びるものではないと踏まえました」
剣道着だけではなく、日常使いできる衣類の開発に着手するなど、新しい業態で攻めるように舵を切ったそうです。
売り上げの増減にこだわらず、『地ならしと開墾』に力を注いだんですよ
4代目の考えはこうでした。地場産業で最も大事なのは「人」であるとまず考えた。売り上げを追いすぎると、人を育てる部分に意識が届かなくなる。それでは社業は立ちいかない。だからこそ、「人の育成」と「新商品開発」をとにもかくにも意識し続けた。
「その先を想定していたためです。息子がいつかここに帰ってくる、と」
ああ、それが「地ならしと開墾」の狙いだったのですね。なんだか、4代目から5代目への贈り物のようにも思えました。もうひとつ、売り上げの「数字」にもまして、売り上げの「質」を大事にしているところが印象的に感じられました。次につながる「質」、つまり、たとえ最初は売り上げが伸びなくても、5代目に継承できる何かがそこにあるかを意識したという話です。
4代目であるお父さんはこうもいいます。
「売り上げこそ全盛期を思えば減っていますけれど、社の体質はむしろ強固になったんですよ」
どういうことか。職人をはじめとする社員は少数精鋭。実力派の職人が引退したあとも、現在の社員たちが技術力を身につけ、それが見事に開花している状態だそうです。「人」に目を配ることを忘れなかった賜物でしょう。
そして、家業に入った5代目が、お父さんが開墾したところをしっかりと活かしているようにも思えます。昨年(2020年)はBEAMSなど大手どころの企業とも協業するに至りました。これは5代目の仕事だそうです。
「20回」に込めた意味がある
「たももぱんつ」を筆頭とする、ものづくりの話に戻しましょう。冒頭で少しお伝えしましたが、野川染織工業では糸を20回も重ねて染めるのが流儀です。よそではあまりない手法とも聞きますが、これはどうしてなのでしょうか。
「ただ伝統だから、じゃなくて、そこには理由があるんですよ」
5代目から教わったことを、簡単に説明しますね。どうやら理由は2つあるようです。
まず、藍染めの衣服が、着ていくうちに経年変化するなかで、何度も重ねて糸を染めていれば、藍の色が抜けて白くなってしまうことがない。同社では、まず齢をとった藍液で糸を染めます。実際に見てみましたが、糸はごく淡い藍色を帯びます。そこから順々に若いほうの藍液に糸を浸していく。若い藍液になるほど、濃い色で染まっていきます。
ここで思うのは、別に最初から濃い藍液でいいのでは、という話ですが……。
「私たちは最初から若い藍に浸けません。というのも、例えば、藍染の商品の経年変化を楽しめるのは、齢をとった藍から若い藍で染めていくことで、少しずつ色が抜けて逆戻りしていく過程を経るんです。若い藍で染めただけだと、色落ちした時にすぐ白く戻りますから」
そういうことだったのですね。そして20回も藍液に浸すもうひとつの理由は、藍の成分をよりたっぷりと糸にまとってもらいたいからだそうです。
「藍液につけて空気に触れて酸化したときに青い色がでるのですが、その工程を経れば経るほど藍の成分が多くなります。若い藍液に少しだけ浸けるのと、齢をとった藍液から順に20回浸けていくのでは、繊維のなかに入っていく植物の成分そのものの量が違います」
それによって肌触りとか風合いが変わりますし、特に糸の場合だと強度が増したりもするといいます。20回というのには、こうした狙いどころがあったというわけです。
それにしても……糸を染める職人さんの所作の凛々しかったこと。素人の目にも、その難しさが伝わってきました。足と腰をしっかりと決めた姿勢で、甕(かめ)の中に糸を浸さないと、おそらく糸の重みで身体ごと持っていかれるほどだろうと想像します。
装飾品ではなく、日常使いの品を
5代目が言葉を続けます。
「武州の藍染めは、野良着の文化を捨ててこなかった。ここは大きいと思いますね」
藍染めというと、現代では装飾品、場合によっては芸術品のような位置付けになっているようにも思えますが、武州の場合、そうではなかったというのでしょうか。
「そうです。私たちの商品づくりも、野良着文化の延長線上にあるんですよ」
なぜそこを大事にしているのか。5代目は、藍染めには元来、広く普及した必然性があったのだと説明します。
「昔の人は、美しいからみんなが藍色を着てたわけではないんです。であれば、いまでも日本人の普段着は藍色になっているはず。でも、洗剤がなかった時代に水洗いだけでも臭いがつきにくいとか、抗菌性があって身体に良いとか、生活のなかで実利的に意味を感じていたから普及していたんですよね」
5代目は、藍染めのそうした歴史をきちんと踏まえたい、と力説します。なるほど……。ジャパン・ブルーのジャパン・ブルーたる背景、すなわち、藍染めはあくまで庶民の日常使いの服として根づいていた、というところを重要視したいということですね。
原点回帰にこそ、好機が
嗜好品でもなく、また剣道着のような特定層が愛用するものだけではなく……。同社がこの20年間歩んできた道のりには、「野良着の世界への原点回帰」という意味が込められていたのですね。私が「たももぱんつ」を目にして、迷うことなくすぐに購入したのは、日常の仕事着としての魅力をそこに感じたからでした。このイージーパンツこそまさしく現代の野良着ではないかと、私には思えたのです。5代目はいいます。
「藍染めの産地として、ここ武州は消費者に近いところにいようと意識し続けてきた気がします。だからこその原点回帰です」
ということは、5代目の狙うところは?
「『庶民の藍染め』に戻すという仕事にありますね」
だから、そのことをわかってくれる取引先と協業するように意識しているとも話します。先に挙げたBEAMSの担当者は、武州の現場まですぐに足を延ばし、藍染めのなんたるかを理解しようとしてくれたそうです。
伝統産業の世界を継ぐ、とは?
5代目には、このことも尋ねてみたい。伝統産業を継承するとはどういうことと捉えているのでしょうか。
その産業の意味を伝える、ということでしょう
伝統というのは結果的に言われる話ですね。意味があるから生きながらえてきているわけです。5代目は「おそらく、先々代のころまでは、武州の藍染めを『伝統産業』とは表現していなかったかもしれませんしね」ともいいます。
「幸いにして、この数年、地域に根ざすものづくりに人々が目を向ける機運が生まれている感触があります。ここが好機です。皆さんの手にもう一度触れてもらえるチャンスが訪れている」
なぜここ武州に藍染めの生産拠点があり、なぜいまも残っているのか。そこを再認識しながら、広く伝えていきたいと5代目は語ります。
必然性がそこには求められる
野川染織工業は、高度成長期にも藍染めの手法を捨てず、4代目、そして4代目と、こうして事業を続けてきました。この連載で何度もお伝えしていますが、同社の仕事についても、2つの大事なところがあったように思えてなりません。
ひとつは「何を変えて、何を変えないかを見定める」ということですね。野川染織工業は、商品のラインナップを進化(深化)させながらも、根幹となる技法は守り続けています。ただ単に伝統を守るというのではなくて、糸を20回染めることで商品の魅力を高めています。
もうひとつは「そこに必然性があることを訴える」というところでしょう。なぜ20回なのか、消費者は商品を使うなかでその理由を深く実感できるはずです。
5代目に、最後の質問を投げかけました。次はどんなものを世に問うてみたいですか。
「3つの組み合わせに尽きます。どういう糸を染めるか、どう織るか、どういうふうに1着をつくりあげるか。その組み合わせを考え抜けば、可能性が広がります」
伝統産業の世界からのさらなる逆襲を、私も楽しみにしているところなんです。
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