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実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第50回)

続・飲食店から、いま学ぶ!(純喫茶ツタヤ)

続・飲食店から、いま学ぶ!(純喫茶ツタヤ)

前回の「高はし」に続いて、飲食店の話をお伝えさせてください。

前回は東京・豊洲市場の食堂がテーマでした。市場移転によって都心から遠くなったうえに、コロナ禍の影響が直撃したなかでも、奮闘を続けているというご主人のことをご紹介しました。で、今回なのですが、日本最古の純喫茶、といわれる一軒についてお話ししましょう。

綴りたいことは2つあります。まず、事業承継をどうするかという、飲食業界に限らず悩ましい話。もうひとつは、業態が時代に取り残されつつある状況でどう動くかという話。これは47回の「澤の屋」にも共通しますね。「澤の屋」は小さな家族旅館です。そして今回は純喫茶。

日本最古の純喫茶って、どこにあるのか。北陸の富山です。富山市の中心市街地で1923(大正12)年から店を構え続けてきた「純喫茶ツタヤ」。現在の当主は4代目に当たります。富山市の外郭団体の職員として勤務しながら、2016年に兼業してまでこの店を継ぐことを決断します。
市の外郭団体も「あの老舗純喫茶が、街に残るのならば」と。兼業を認めてくれたのだと聞いています。でもですよ、客単価がさほどでもなく、しかも大手カフェチェーンに押されがちな個人経営の純喫茶が、この時代、生き残れるのか。

いや……。4代目が継いで以来、ここ「純喫茶ツタヤ」は繁盛しているんです。新型コロナウイルスの感染拡大によって、今年(2020年)5月ごろは営業日も営業時間も限定した態勢を余儀なくされましたが、緊急事態宣言が解除となった後、6月下旬に店を訪れてみると、日曜の朝8時前だというのに、次々とお客さんが足を運んでいました。4代目の形づくる純喫茶が、地元にしっかりと根づいていることがよく理解できましたね。

中心市街地の三大逆風

続・飲食店から、いま学ぶ!(純喫茶ツタヤ)

「純喫茶ツタヤ」の話に入る前に、地方都市の中心市街地の現況について、少しだけ触れておきましょう。

まず挙げるべきは、中心市街地の空洞化ですね。郊外の大型ショッピングセンターの存在がそうさせています。次に、個人商店が直面する厳しい環境。衣類にしても書籍にしても大変です。そして、このような苦境下だけに、事業継承の問題も深刻です。次の世代に店を継がせていいのかと躊躇するケースも少なくありません。
「純喫茶ツタヤ」の場合は、もうこれらすべてに当てはまってしまうのでした。地方都市の寂れつつある中心市街地にある個人経営の純喫茶であり、しかも4代目に継承して大丈夫なのかという不安も大きかった。

その歴史は華々しいものがありました。何人もの文人や芸術家がこの店を訪れたという記録も残っているほどです。そして2代目が、この純喫茶を大きく発展させたといいます。2代目は旧制中学卒業後、インドネシアに単身で渡り、コーヒーの栽培園を巡り歩いた。それが大正年間のことでした。「純喫茶ツタヤ」のコーヒーは、その創業時から、この2代目が送るコーヒー豆を使ったそうです。
2次世界大戦後には、2代目がビルを建て、いっときは、喫茶店の上階でトリスバーやビアガーデンまでも営んでいました。

2代目の次女が、3代目として引き継いだのは1985年。そのころ「純喫茶ツタヤ」が位置する一角は、富山市の中心と表現するにふさわしい賑わいを見せていました。目の前のスクランブル交差点は、週末でなくとも人にあふれ、その先には老舗の百貨店もありました。

後継者が見つからない…

続・飲食店から、いま学ぶ!(純喫茶ツタヤ)

ところが……。いつしか中心市街地からは人の波が引いてゆき、21世紀に入ると、スクランブル交差点は消え、老舗百貨店も移転してしまいました。気がつけば、往時の活況は望むべくもない状態になったのです。
近隣のアーケード街など、かつては歩くのもままならないほどの混雑ぶりだったのに、今や人もまばら。大手どころのハンバーガーチェーンも、この街での営業を諦めて、相次いで立ち去ってしまいました。

2010年には、この地区の再開発を期すために、ビルが取り壊されました。2年後には同じ場所で、「純喫茶ツタヤ」は再び営業を始めましたが、再開発を経ても、ここ中心市街地に人が戻ったとは言いがたい状況が続きました。
経営に苦労を重ねてきた3代目夫婦は、日本の純喫茶史にその名を刻む「純喫茶ツタヤ」をどうにか残したいと考え、後継者を探しました。ただし、身内に継がせる意思はなかったようです。それだけ、経営状況は厳しかったということなのでしょう。でも、外部の後継者は結局、見つけられませんでした。

跡を継いだのは誰だったか。4代目となったのは先代の息子でした。

結局は先代に懇願されたから?
いや、そうでは全くなかった。その逆で、跡を継ぐなと何度も止められたといいます。それでも本人の意思は強く、4代目となったのでした。

両親からの条件はただひとつ。「今の仕事をやめないこと」だったそうです。そのため4代目は、勤務先である市の外郭団体に相談し、仕事を続ける状態で店の経営を兼業し、店には基本的に週末だけ入ることとしました。4代目が「純喫茶ツタヤ」のカウンターに立つ日は、店のFacebookなどで事前告知するという形をとった。
職場の上司がまた頑張ったのだと思います。街に残る老舗純喫茶のために就労規則を調べに調べて、4代目に道筋をつけてあげたわけですね。

4代目がくだした決断は

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とはいえ、課題は山積です。若い4代目が店を継いだからといって、すぐさま事態が好転するはずもなかった。

実際、4代目がついたばかりのころは、1日に訪れる客がわずか数人ということも少なくなかったらしい。
創業100年を目前にして、「純喫茶ツタヤ」は消えてしまうのか……。ここから4代目は勝負に出ます。

手をこまねいている時間は、もうないんですからね

何から手を打ったか。まず、27年ぶりにモーニング営業を復活させました。先代のころは11時のオープンだったのを、7時に変えた。

これ、かなりの賭けですよね。そもそも、富山市の中心市街地からは人波は去っています。早朝ともなるとなおさらの話。富山の人たちの多くは自動車通勤です。朝の気ぜわしい時間帯に、近隣の駐車場にわざわざクルマを停めて、コーヒーを飲みに来るのか。しかも。早朝から店を開けるということは人件費や光熱費ひとつもかかりますからね。

「いや、この界隈をつぶさに観察すると、夜よりも朝のほうが、まだいくぶん人が歩いているんです」

そうなのですか。先入観に左右されず、ちゃんとその目で確認を続けたからこそ、冷静な判断ができたのですね。

次に、モーニングもランチも、業務用の調理品を使うのをやめたそうです。そして、近くにある名料理店のオーナーに、料理について教えを請うた。オーナーは4代目のために、しっかり手を貸してくれました。
そうして、朝食にはクロックムッシュやフレンチトースト、ランチでは手製のハヤシライス(「ツタヤライス」と名付けました)を提供し始めた。

さらにです。4代目はちょっと思い切った策に出ました。朝7時の営業開始時刻から、ビール、赤白のワイン、スパークリングワイン、シェリー酒と、メニューに載せたのでした。
これがまたいい。朝の時間、単品のオムレツとスパークリングワインを合わせて、窓の外を行き交う路面電車を眺めていると、実にぜいたくな気持ちに浸れます。

「旅に出たとき、朝から1杯のビールやワインを味わいたくなっても、なかなかそれに応えてくれる店って探しづらいじゃないですか。飲みたくても、店がない。それをなんとかしたかった」 

4代目にためらいはなかったそうです。前述のように、なにせこの店は、戦後にはトリスバーも併設していたわけですからね。そして、どんな酒類を店に置くかを決めるにあたっては、近隣の著名なバーマンや実力派の酒販店が相談に乗ってくれたそうです。

「レストランのオーナー、バーのマスター、酒販店のご主人。そうした人たちが力を与えてくれましたね」

突如、跡を継いだ4代目を、街の人たちが支えてくれた。ここもまた見逃せないポイントだと思います。

コロナ禍を乗り越えようと…

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「正直、最初は舐めていました」

4代目は正直にそう語ります。いい什器をそろえて、いいコーヒーや料理を出せば、すぐに人は戻ると踏んでいたそうです。でも、最初はそうはいかなかった。それでも……2016年に跡を継ぎ、その段階では1カ月で400人ちょっとの来店客数だったのが、それから1年を経て1カ月で900人は訪れるようになった。月ごとに100人ずつ増えている、という実感があったともいいます。

4代目は、毎週金曜土曜に「ヨルツタヤ」と銘打って、22時ごろまで店を開けるようにしました。周囲に店の灯りが漏れるだけでも、街に役立てるのではと考えたからでした。
さらに毎週水曜は、店のスタッフが考案・作成したスイーツを楽しめる日としました。こうして、まさに「あるもの、いる人、周りの人」を生かした店舗運営によって、この街に老舗純喫茶あり、と再び広く知らしめるところまできた。

そこに今回のコロナ禍が見舞いました。7月に入った段階では、営業時間や営業日も元の形に復活しつつありますが、「ヨルツタヤ」の再開は、まだ様子見とのことです。厳しい状況が続いています。でも……この店を訪れる地元客は確実に存在する。冒頭でお話ししたように、日曜朝から賑わっています。

こんな時だからこそ、ほっとひと息つけるコーヒータイムを守りたい

4代目はそう考え、店をさらに育てています。最近では、2代目がこしらえていたというカレーライスのレシピを見つけ出し、それを復刻させてメニューに加えました。

「純喫茶ツタヤ」の復興に歩調を合わせたかのように、富山の中心市街地ではいま、さまざま取り組みが見られ、客足が少しずつ戻ってきている印象があります。誰かが何かをまず始めねば、ということなのかもしれませんね。

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