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実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第45回)

団体戦が明日につながる!
(岩瀬まちづくり株式会社)

団体戦が明日につながる!(岩瀬まちづくり株式会社)

本稿を綴っている20205月時点では、不要不急の外出を避けるべき状況にありますから観光関連の話は深刻なものが多いですけれど、いつかはコロナ禍を社会が克服し、各地に活気が戻るよう願うばかりです。そんな思いを込めながら、今回の記事をまとめてまいりたいと思います。

この連載の23回、北海道・木古内町の取り組みを振り返るところから始めますね。

木古内は北海道のほぼ南端に位置する過疎の町です。観光資源にあふれているというわけでもありません。1980年代、青函トンネルが開通し、木古内の人たちは沸き立ちました。「これで特急列車が停車すれば、この町の過疎問題は解決する」。でも、実際にはほぼ何も起こらなかった。単発のイベントを組んで、あとは人が駅に降り立つのを待つだけでは、町が元気になることはないんですね。

この木古内に、北海道新幹線の駅ができたのは2016年でした。かつての苦い経験を忘れなかった木古内の人たちが、今度は動きました。駅の真ん前に「道の駅」をオープンさせたのですが、ただ「箱」をつくっただけではなくて、矢継ぎ早に独自性のある施策を打ったんです。詳しくは以前の記事をお読みいただくとして、ここでは担当者の言葉をひとつだけ引いておきますね。それは、「ただの箱ではなく、面白い箱をつくる、という共通認識がありました」というもの。

簡単な言葉ですが、これ、実践するとなると難しいところもありますね。地域おこしにおいては、箱をつくれば満足してしまうというケース、少なくないですから…。もっと言えば「面白い箱」とはいったい何なんだ?と迷ってしまうこともあるでしょう。

で、今回の本題です。「鉄路が延びてきた」「町を生かさねば」という局面で、ただの箱ではなく、面白い箱を築き上げようと奮闘している町が、木古内のほかにもあったんです。それは今年(2020年)の話なのですが、鉄路が伸びてくる前から、地道に動いてきた成果が身を結んだともいえる事例です。

路面電車がつながった3月

団体戦が明日につながる!(岩瀬まちづくり株式会社)

北陸・富山県富山市の岩瀬という町の話なんです。

今年(2020年)3月、富山市はひとつのトピックで盛り上がりました。それは同市で運行されていた2つの路面電車が1つにつながったというニュース。

2つの路面電車はちょうど、JR富山駅を挟む形で分かれている格好でした。駅の南側は、大正時代から根付いている、通称「市電」。こちらは富山地方鉄道による運行です。そして駅の北側は、もともとJRの支線だったものを一部路面電車化して、2006年に開業した「富山ライトレール」。第三セクター方式での運営でした。

前者は市内の中心繁華街と富山駅や地元大学をつなぐ路線です。後者は富山駅から日本海に向かって伸び、その終着が、今回取り上げる岩瀬という町です。

この2つの路面電車、3月21日に富山駅の駅舎を貫く形で線路がつながりました。線路がつながっただけではなく、三セクだった富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併され、名実ともに路線が一本化されました。これによって、富山の中心エリアから海に面した岩瀬の町まで、乗り継ぎなしで行き来できるようになったんです。

この富山に限らず、JRの駅の両側で町が実質的に分断されたような状況になっていて、それが都市形成の課題として横たわっている地方ってありますよね。そこに文字どおり風穴をあける役目を果たすと期待されたのが、富山の場合、2つの路面電車を直結するという事業でした。

さあ、本題である岩瀬の話です。

この岩瀬という町は、江戸時代から明治時代にかけて、北前船が寄港する地として実に栄えた地域でした。廻船問屋だった建築物をはじめ、風情ある家屋が今も残り、古い町並みは魅力を湛えています。

とはいえ、全国各地の古都のように、幅広い人たちが押し寄せる観光地というほどの存在ではありませんでした。県内の人はいざ知らず、県外の観光客がどこまで岩瀬という存在を認識していたかと言われれば、心もとないところでしょう。

でも、そこには原石があった。私がしばしば表現に用いる「足許の宝物」というやつです。歴史ある建造物が残るだけではなく、実力派の日本酒蔵もそこに根付いていました。日本酒における吟醸ブームの先導役とも高く評価されている「満寿泉」を醸す老舗、桝田酒造店です。

今回の主役は、この桝田酒造店の5代目です。岩瀬で生まれ育った5代目の蔵元は、先に触れた富山市の北側を走る富山ライトレールが2006年に開業するよりも早く、今からおよそ20年前、この岩瀬の町を生かす取り組みに着手します。

箱を生かし、人を招聘する

団体戦が明日につながる!(岩瀬まちづくり株式会社)

20年ほど前、蔵元は何をしたのか。かつて営まれていた材木店の建築物を買い取って、そこに1軒の蕎麦屋を招きました。最初はそれだけだったのですが、話はそこで終わらなかった。

やはり解体されてしまう運命にあった古い家屋をその後も入手して、それぞれの拠点に、伝統工芸の作家や料理人を招いたのです。さらにそうした動きを機動的にできるよう、2004年、蔵元は地元で新たな会社を設立します。岩瀬まちづくり株式会社と名づけました。

どうして蔵元は、突き動かされるように取り組みを活発化させたのでしょう。

「古い建物を買い取って改修すると、そこに大工さんの仕事が生まれます。改修後の建物を作家や料理人が拠点とすれば、そこにも仕事が生まれる」

そして回りまわって、本業である日本酒に親しんでくれる人も増えれば、なお良し、ということなのですね。

2020年の路面電車1本化に向けて、岩瀬まちづくり株式会社の社長でもある蔵元は、手を休めませんでした。

同じ富山県の氷見市で江戸時代から商いを営んでいた魚問屋の社長に声をかけ、岩瀬にアンテナショップを構えてもらいました。もちろん、風情ある建築物の一軒を提供して、です。このアンテナショップの2階には、1日1組限定で宿泊できる、洒脱な空間をしつらえました(この下に掲載した画像がそうです)。

1日1組限定とはいえ、その意味は小さくないと私は思いました。路面電車で直通となったとはいえ、岩瀬は富山市の中心地からちょっと離れています。観光客にすれば、ここで美味しい酒や食を堪能してから、中心地のホテルに戻るのは少し面倒です。この宿泊施設を使えば、帰り道を気にせずに、飲食に没頭できるわけです。

では、どんな酒や食に、ここ岩瀬で巡り合えるのか。

渋い蔵の奥に、これまた1日1組限定で客を招くフレンチレストランが店を構えています。そこから海に向けて歩いてゆくと。小さな一軒家をリノベーションした鮨屋があり、ここもまた人気です。もう少し歩みを進めると、味わい深い日本料理店が目に飛び込んできます。もともとは富山市の中心地に近い場所にあった超人気店ですが、岩瀬の取り組みに共鳴し、ここへの移転を決めたといいます。さらにはイタリアンの名店もこの町を選んでいます。

そして、その日本料理店に隣り合うように、力強い佇まいの建築物があり(このページ冒頭の画像です)、中に入ると、桝田酒造店の誇る名酒の数々を1杯200円から(試飲用の木枡は別途購入)という低廉な値段で立ち飲みできます(店内の画像が、このページ2つ目の画像です)。大きな冷蔵庫に100本は並んでいるでしょうか。一度や二度訪れたくらいでは、当然飲みきれません。繰り返し、ここに来たくなるところが心憎い。

まだあります。路面電車が1本化された、まさにその初日に合わせる形で、クラフトビールの醸造所も登場しました。国登録有名文化財の蔵を使い、蔵の内部中央に、機能美のある釜やタンクを据えているつくり。パブを併設しており、富山で名高い職人がつくるソーセージを肴にクラフトビールを楽しめます(このすぐ上の画像がそうです)。

先にお話しした魚問屋によるアンテナショップの1階では、全国的にも超人気なワイナリーのワインも飲むことができます。そのワイナリーは、魚問屋自身がここまではぐくんできた存在なので。

「岩瀬に来ていただければ、飲み歩き、食べ歩きが自在なんです」

蔵元はそう説明します。確かにそうですね。数々のジャンルの食がここに集い、クラフトビールもワインも楽しめる。日本酒は言うに及ばずです。しかも、それらを味わう器がまた、岩瀬を本拠と決めた作家たちのものであったりもするわけです。

文化財のあり方を再定義した

団体戦が明日につながる!(岩瀬まちづくり株式会社)

なぜまた、ここまで徹底して、作家や料理人を招聘したのでしょう。蔵元はいいます。

「文化財を『見るもの』から『生かすもの』に変えたい、と考えたからです」

なるほど。納得できる話と思いませんか。歴史的建造物を「見せる」町は全国各地に存在しますね。もちろん、それだけでも大いに価値はある。でも、必ずしも観光立県として知られる県ではない富山の場合、建築物や町並みを見せるだけに終わっては、独自性は発揮できないかもしれません。

文化財を生かすにあたって、「食」と「伝統工芸」に着目したのは、旗振り役であった蔵元が、日本酒文化の担い手であることが関係しているでしょうね。蔵元自身が有している宝物を。ここでちゃんと活用したという点でも、参考になる部分はあると思いました。

それにしても……。富山県内に住む食に聡い人であれば誰もがうなずくような料理人が、ここ岩瀬に集っている。ここに至るまでに蔵元がかいた汗は相当なものだったのでは内でしょうか。

蔵元が語っていた言葉で、印象的なものが、またありました。

ただ単に『いいもの』を目指すのではまだまだです。
それを超えた『凄いもの』でないと……

このくだり、32回の記事でも綴りましたね。あのときに記したのは、今回の蔵元の言葉でした。

いいものじゃなくて、凄いという領域に達したものとなって初めて、人は唯一無二と感じてくれる。だから蔵元は、類い稀な実力を有する作家や料理人を岩瀬に招くことに力を注いだということを、改めて理解できます。

そこに共感があったからこそ

団体戦が明日につながる!(岩瀬まちづくり株式会社)

岩瀬の町づくりの話をお伝えしていくと、いくつかのことにお気づきになると思います。

まず、冒頭で触れた「面白い箱」を創出するには、人の力が不可欠という点ですね。そして、もうひとつ、読み違えてはならないことがあると私は思うのです。

岩瀬という町は、老舗の蔵元というエースがいたからこそ、ここまで輝くことができたのか。蔵元の存在がなければこうはならなかったのは事実でしょう。でもこれを、1人のエースが孤軍奮闘した結果であり、そんなエースなどどの町にもいるわけではないと考えると、大事な部分を見落とすのではないかとも考えます。

旗振り役である蔵元の熱意に共感する作家や料理人がいて、それをまた応援する地元住民がいる。これもまた団体戦なのだと思います。実力者が1人いればなんとかなる話でしょ、と捉えると、この事例から得られるせっかくのヒントを取りこぼすのではないでしょうか。

北村 森

北村 森

商品ジャーナリスト
サイバー大学IT総合学部教授
(元・日経トレンディ編集長)

PROFILE

富山県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。

月刊誌「日経トレンディ」編集長を経て、2008年に独立。
以来、商品ジャーナリストとして活動。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析、地方自治体や商工団体と連携する形で地域おこしのアドバイザー業務に携わっている。
2015~2016年、第1回「だれかのために考えた発明品アイデアプロジェクト」(東大阪ブランド推進機構)の総監修を担当し、全国からの反響を呼ぶ。
著作である『途中下車』は、2014年にNHK総合テレビにてドラマ化された。
2017年にはサイバー大学IT総合学部教授に就任(地域マーケティング論)。

中日新聞/東京新聞「北村森のモノめぐり」、婦人公論「女の気になるキーワード」、家電批評「北村森のヒット商品虎の穴」、FCC REVIEW「旗を掲げる! 地方企業の商機」などの連載コラム執筆に携わるほか、NHKラジオ第1「Nらじ」など、テレビ・ラジオ番組でのコメンテーター、ゲスト出演多数。

日本マーケティング協会 マスターコース講師(マーケティング・コミュニケーション)
MM総研大賞 審査委員
富山県 推奨とやまブランド ものづくり部会 審査委員
特許庁 地域団体商標広報企画 ワーキンググループ委員

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