実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第90回)
起業で問われる要素は何か!?(ハワイアン焼酎カンパニー)

今回は、私が大学の講義で教えている内容からひとつ、ピックアップしたいと思います。なかなか海外へ行けない状況が続いていますが、コロナ禍が広がる直前の2020年1月、講義で取り上げるために現地取材してきた事例です。そして、この社会的状況が一段落したら、絶対に再び訪れたい場所の話でもあるんです。
ハワイのオアフ島で、ご夫婦が2人で芋焼酎づくりを続けています。その名をハワイアン焼酎カンパニーといい、焼酎は「波花」という銘柄です。
ハワイの芋、ハワイの水、ハワイの気候でつくられた焼酎はどんな味か、気になりますよね。私個人の感想は……どこまでも優しくて、そして温かな気持ちにさせられる一杯と表現したくなります。文句なしにおいしい。できれば、ハワイにいる間に飲みたい焼酎だなあとも思わせます。現地の雰囲気のなかで口にすると、なぜか格別に感じられるんです。ハワイの風が頬を撫ぜるような、といいたいような味わいだけに……。
「波花」は、2013年に第一号が出荷となりました。それ以来、春と秋に約3000本ずつがつくられています。年間わずか6000本ほどですから、焼酎蔵としてはきわめて小規模です。でも、ビジネスベースにはちゃんと乗っている。春も秋も出荷されるやいなや、またたく間に完売となっているからなんです。世界がコロナ禍に襲われた2020年以降も、厳しい状況のために時間は多少かかるものの、やはりおおむね完売となっているようです。
こうして売れていることがすごい、と私は思いました。というのは、この「波花」、購入するのにはハードルがあるからです。製造される8割が一般消費者向けなのですが、購入するには原則として、メールで予約したうえでオアフ島のノースショアにある蔵まで行くしか手立てがないんです。ノースショアはホノルルの空港からレンタカーで1時間以上かかる場所。けっこう大変ですよね。日本への発送は不可です。それでも完売続きとなっているため、この「波花」は、「幻の」とか「焼酎マニア垂涎の」とかいったふうに語られています。
ただし……ノースショアの蔵を訪れ、ご主人に話を聞いてみたら、希少性を高めてもったいぶる戦略を採っているわけでは全くありませんでした。少量生産にも、蔵まで来てもらったお客に販売する体制にも、それ相応の理由がありました。
ハワイアン焼酎カンパニーに蔵のなかには、木の桶、そして鹿児島から運んだという甕(かめ)があります。昔ながらの手法を、ここハワイの地で徹頭徹尾、貫いているのだなあと感じ入りましたけれど、これにも、やむにやまれぬ事情があったと聞きました。この原稿の最後のほうで、その理由に触れます。
いったい、どんなご主人が、どんな経緯で、超人気の芋焼酎をつくるようになったのか。今回はそんな話です。
40歳手前で修業を始めて…

まず、ご主人の経歴を簡単にお伝えしましょう。1968年生まれで、大阪の高校を卒業後、米国の大学で経営学を学びます。大学を卒業してからは香港の金融系企業で働き、さらにオーストラリアの企業で商品開発に携わります。30代のころ、彼はハワイでの焼酎づくりを決意、2005年から鹿児島の焼酎蔵で3年間の修業を積みます。修業のかたわら、ハワイでの起業を準備。そして2012年からノースショアで焼酎づくりを始め、2013年に初出荷を迎えました。
こう聞くと、まずなによりも聞きたいことがありますね。異業種で活躍していたのに、どうしてまた、いきなりの芋焼酎修業に踏み切ったのでしょうか。40歳手前での修業スタートというのは、かなりの覚悟がないとできません。
「保証はなかったけれど、『なにかはできる』という確信はありました」
それまで彼は焼酎をつくった経験など、もちろんなかったといいます。ただ、25歳のころにハワイで口にしたポイ(タロイモの発酵食品)がずっと気になっていたそうです。これは焼酎につながる素材ではないか、と。
でも、普通なら、思うだけで終わりですよね。どうして一歩を踏み出せたのか。
「最初は冗談で話していたくらいでした。でも、30歳をすぎたころから『やってみたら面白い』という気持ちが募っていった」
でも、住んだこともないハワイですし、なにより資金調達ひとつも大変でしょうから、厳しい道のりではあったようです。手持ち資金がさほどない彼は、ハワイの金融機関を地味に周り、事業開始のために現地の農務省とも折衝を重ねたそうです。
「それが、現地の金融機関も農務省も、きちんと話を聞いてくれたんです」
ハワイでは農業が一大産業です。農作物に付加価値をつけることに関心を示してくれたということなのですね。融資を得るまでにはいくつもの困難はあったものの、なんとかハードルを乗り越えることができた。
ただ、それ以前にもっと大きなハードルがあったはずです。先に触れたように、彼は焼酎づくり未経験者です。40歳手前となっていた彼を、鹿児島の焼酎蔵が、修業の申し出をよく受け入れてくれたものだと、私は思いました。
「やはりそこが、大きなターニングポイントでしたね」
焼酎蔵は家族経営が多く、新参者は受け入れられにくいのでは、と私などは考えてしまいます。
「鹿児島の師匠には、ハワイでの起業が目標と最初から伝えていました。そうしたら、ありがたいことに受け入れてもらえ、修業の立場であるのに給料までいただけました」
そこに、とてもいい出会いがあったのですね。ハナから無理と思い込まずに飛び込む、というのは、あらゆる仕事の場面で大事な姿勢なのだと、改めて感じさせる話です。
ハワイに焼酎蔵はなかった
3年間の修業を経た彼は、いよいよ2012年、ハワイのノースショアに蔵を立ち上げます。ここで確認しておきたいのですが、ハワイには焼酎蔵がそれまで存在していたのでしょうか。
「ありませんでしたね」
ということは、ハワイにに暮らす人々が焼酎を飲む習慣もほぼなかったと想像できます。そうした状況下で、なぜ焼酎蔵がいけると踏んだのか。焼酎づくりに向く温暖な気候であり、サツマ芋が豊富に獲れる風土も根づいています。とはいえ、そもそも、よそ者がゼロから立ち上げる事業に対して、地元の農家が芋を卸してくれるのでしょうか。
「地元農家は、むしろ積極的にサポートしてくれたんです」
一軒の農家がまた別の農家を紹介しれたり、あそこにはこんな芋があるよと教えてくれたりしたそうです。ご主人が農家との関係をしっかりと紡ごうと努力した様子がそこから窺えますね。
なぜ、現地でしか売らない?

2013年に「波花」の第一号を世に出して以来、春と秋の出荷ごとに完売が続いたという話は、最初にお伝えしました。焼酎文化がなかったハワイで、これは異例のことと思います。しかも、ノースショアの蔵まで行かないと購入できない方針をとっているだけに……。日本に住む人が、この希少な焼酎を求めて訪れるには、まず航空便を押さえて、そのうえで蔵にメールして、予約当日にホノルルからレンタカーを駆っていく必要があります。
それでもコロナ禍の前までは、そうした負担をものともせずにノースショアまで足を運ぶ日本人客が引きもきらなかったそうです。それにしても……。どうして、こんな販売手法をとっているのでしょうか。
「仕方なく、なんです」
ああ、希少価値を高めるための戦術ではないのですね。
「私たちの生産量では、流通関係の企業に卸す体制ではどうしても赤字になります。そのため直販しか手立てがないんです」
「波花」の定番商品(750ml)の価格は、税別で42ドル強です。確かにこれを既存流通に乗せたら、そこにコストがかかるぶんだけ値段はもっと跳ね上がりますね。そうなると、芋焼酎の値づけとしてはかなり割高になってしまい、消費者の手に届きづらくなります。納得のいく価格設定にするには、直販にするしかなかったという話なのですね。
しかし……一般消費者向けをすべて直販が原則(それもネット通販なしで)となると、そこにはリスクが伴います。地元の人も旅行客も、本当に一本の芋焼酎のために、このノースショアまで訪れてくれるのか。
「そもそも、この少ない生産量で起業すること自体にリスクはありました。それでも踏み切ったのだから……」
そういう決断だったのですね。確かにご主人の言う通りだと、私は感じられました。リスクというのは、どこにでも、どんな策を講じるとしても、つきまとうものです。ご主人はそのリスクをどう取るかを熟慮した、という話なのだと思います。
この連載の第78回で私が綴った一節をここで思い出しました。その箇所を改めてお伝えしましょう。
地域発の商品開発やまちづくりで、リスクテイカーの存在は必須です。リスクテイカーというと「リスクを冒すことを躊躇せず、挑戦に臨む人」と解釈されがちですが、それは違うと思います。正確には「リスクの存在をきちんと踏まえたうえで、適切な手を打ち、挑戦に臨む人」がリスクテイカーです。やみくもに突き進むのがリスクテイカーでは決してない。
ハワイアン焼酎カンパニーのご主人の場合、少量生産の体制をとることによるリスクを、直販とすることで解消しようと判断しました。直販にも大きなリスクは伴いますが、すべての要素を勘案した結果、それがベストと決めた。そして、この決断は間違っていなかった。実際、完売続きという結果を生んでいるわけですからね。
冷静な計算もそこにあった
ご主人のこうした判断には、冷静な判断もあったと聞きます。
「立地の妙はあったと思いますね」
確かにノースショアはレンタカー利用必須の場所ではありますが、ホノルルから1時間強で着けると捉えれば、実は来訪するのに困難を窮めに窮めるとまではいえませんね。ノースショアはオアフ島北西部の美しいエリアですし、現地でのちょっとした小旅行と考えられなくもない。
しかも……この「波花」を購入している消費者層は、焼酎を普段から飲みつけている日本人ばかりではないんです。2013年に第一号商品を登場させた直後、まず振り向いたのは、ハワイに住む地元の消費者だったといいます。日本からの購入客が殺到したのは、その後の話でした。コロナ禍直前の時期でいうと、購入客の半数は地元の人々。つまり、1回きりの購入になるかもしれない旅行客だけでなく、ちゃんと地元の人気を掴んでいたのですね。
だからこそ、コロナ禍に見舞われた後も、「波花」は販売を続けられています。旅行客と思われる層からのキャンセルは当然増えたものの、地元の客が支え、見事完売となった商品も相次いでいます。
「蔵を立ち上げてから、地元に暮らす人のために、蔵の見学ツアーや焼酎そのものの説明を、ずっと続けてきました」
それがいま、生きているのでしょう。
私たちの『波花』を伝えるというよりも、焼酎そのものを知ってもらおうと動いたんです
蔵をここに構えた直後から貫いてきたその姿勢が、コロナ禍の危機を救ったともいえますね。日本からの観光客だけでなく、ハワイに住む人にとっても、「波花」を買うためにはノースショアの蔵まで行くことが必須なわけです。それでも来てくれるというのは、2013年以来の努力があったから、ということでしょう。
生産量はあえて増やさない

ここでもうひとつ確認したいことがあります。現在のコロナ禍のもとではともかく、2013年以来、出荷するたびに即完売となっていたくらいですから、生産体制を増強して、販売量を増やすという手もあったのでは?
「増産は選択肢にありませんでした。『波花』の味に関わってくる話なので」
増産よりも、味の独自性を守り抜くことを優先したといいます。
「もし仮に今後、競合相手がハワイに現れても、競争しないようにすること。それが強いていえば、私たちの戦略でしょうか」
競争状態に陥らないようにするということはつまり、ご夫婦でつくれる範囲内で味の水準を保つということですね。
この原稿の冒頭で、「昔ながらの手法を徹頭徹尾貫いている」と綴りましたが、これもまた、「波花」の味を守るためなのですか。新しい蔵であるのに、木の桶や古い甕を大事にしているのはそのため?
「いや、正直にいいますと違います」
では、どうしてなのでしょう。
「お金がなかったから、近代的な設備を築けない。それだけなんです」
いやきっと、そのことが焼酎の味にとっても大事な部分だとは思います。こう話を聞いていくと、蔵での予約販売に徹していることにも、伝統的な生産手法を採っているところにも、ハワイアン焼酎カンパニーの戦術には必然性があった、と読み取ることができますね。そして、必然性のもとで運営されていることが、すべてにいい方向をもたらした。
「もうひとつ言えるかもしれないのは……」
ご主人は言葉を続けます。
「蔵を立ち上げるうえで、自分の考えを頑なに持ち込もうとはしないように心がけました。地元のありようを大事にしよう、と」
それは重要な姿勢ですね。だからこそ、ハワイの金融機関も農務省も、そして農家の人々も、ご主人に協力を惜しまなかったのだろうと推測できます。
この地に「つくってもらっている」

最後に尋ねたいのですが……。「波花」という焼酎は、日本でつくられる焼酎とは別物と捉えたほうがいいのでしょうか。それとも日本と同じ焼酎をここハワイでつくっているという話でしょうか。
「この焼酎の味は、ハワイだからこそだと思います」
どういうことですか。
「『ハワイにつくってもらっている』という気持ちです。実際、それが味に反映されているとも思います」
アルコール度数の高い焼酎なのに、やわらかな舌ざわり。芋焼酎らしさはふんだんにたたえているのに、どこかしら穏やか、おおらかに感じられる味わい。そう感じさせるこの一杯なのは、ご主人がいうように、原材料から気候に至るまで、このオアフ島のすべての要素が重なった結果のものなのでしょう。
ちなみに……。日本人にここまで人気になり、希少な一本と称されていることは、予想通り? 予想外?
「全くの予想外です」
本当ですか。
「ええ、戸惑いすらありました。でも、私たちの焼酎づくりはずっと変わっていません」
私の仕事場にあるワインセラーには、ハワイ取材時に購入した「波花」があと少しだけ眠っています。コロナ禍が収まったらすぐにノースショアに足を運び、ご夫婦がつくる新しい「波花」を、ぜひ買い求めたいと考えています。希少だから手に入れたいというより、コロナ禍が続くなかでも踏ん張っている蔵の心意気を共有したいという思いからです。
ご主人の締めくくりの言葉がまた印象に残りました。私が「どうしてこの事業を立ち上げられ、継続もできていると考えますか」と問いかけたら、ひと言だけ返ってきました。
やめようと思わなかったからです
言葉にすれば簡単ですけれど、新しい事業に立ち向かう場面では、この姿勢こそが肝要なのでは、と私には思えました。

北村 森
商品ジャーナリスト
サイバー大学IT総合学部教授
(元・日経トレンディ編集長)
PROFILE
富山県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。
月刊誌「日経トレンディ」編集長を経て、2008年に独立。
以来、商品ジャーナリストとして活動。製品・サービスの評価、消費トレンドの分
析、地方自治体や商工団体と連携する形で地域おこしのアドバイザー業務に携わっ
ている。
2015~2016年、第1回「だれかのために考えた発明品アイデアプロジェクト」
(東大阪ブランド推進機構)の総監修を担当し、全国からの反響を呼ぶ。
著作である『途中下車』は、2014年にNHK総合テレビにてドラマ化された。
2017年にはサイバー大学IT総合学部教授に就任(地域マーケティング論)。
中日新聞/東京新聞「北村森のモノめぐり」、NTT東日本「経営力向上ラボ」、
家電批評「北村森のヒット商品虎の穴」、FCC REVIEW「旗を掲げる! 地
方企業の商機」などの連載コラム執筆に携わるほか、NHKラジオ第1「Nらじ」な
ど、テレビ・ラジオ番組でのコメンテーター、ゲスト出演多数。
ANA国内線「北村森のふか堀り」監修
経済産業省 北海道経済産業局 地域ブランド創出支援事業 チームリーダー
特許庁 地域団体商標広報企画 ワーキンググループ委員
富山県 推奨とやまブランド ものづくり部会 審査委員
日本マーケティング協会 マスターコース講師(マーケティング・コミュニケーション)
SHARE
実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則