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実例から学ぶ! 中小企業マーケティングの新鉄則(第27回)

「待つ」から「動く」への転換!
(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

「待つ」から「動く」への転換!(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

前回に引き続き、地域産品をどう元気に復活させるかについて、具体的な事例から一緒に考えていきましょう。今回は金属加工の話です。

オリイブルーと称される、美しく鮮やかな青をものにした中小企業の物語なのですが……。オリイブルーという言葉が誕生し、広く注目を浴びるに至るまでの経緯は、すみません、原稿の後半でお伝えさせてください。
富山県の「高岡銅器」は、日本の銅器生産額の95%を占めているといわれるほどの一大生産地です。高岡銅器は分業の世界です。原型をつくる人、鋳型から鋳物をつくる人……。

折井着色所(現・モメンタムファクトリー・Orii)は1950年の創業。できあがった銅器に色をつけるという最後の工程を担っており、地元では「加工屋」と呼ばれる存在です。銅における着色とは、「銅を面白く化けさせる工程」なのだと社長は語ります。薬品や熱の力で化けさせるということ。銅は赤にも茶色にも、そして青にも化けてくれる唯一の金属なのだそうです。
とてもエキサイティングな仕事に思えますが、一方で、分業だけに、ちょっと大げさに言いますと、そこには宿命があるんです。

言ってみれば、『待っている仕事』なんですね。分業している他の事業者から、仕事が入ってくる感じでした

このままだったら、つぶれる

「待つ」から「動く」への転換!(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

社長は、自身が小学生だったころの活気が記憶にあるといいます。

「1970年代までの高度成長期は、先代である父親が本当に忙しく働いていたのを覚えています。小さな数量の注文を断らなければならなかったほどだったそうです」

仏具の需要もありましたし、家庭の床の間に飾るような干支の置物もどんどん注文が来ていた。また、企業の記念品に銅器を使うところも多かった。値段を上げても相手は文句を言わなかった。そういう時代だったと、社長は振り返ります。

学校を出たあと「東京で違う世界を見てみたかった」という現社長が、地元・高岡に戻ってきたのは1990年代の半ばでした。30代に差し掛かるころ。帰郷して目の当たりにしたのは、かつての活況とは打って変わった、高岡銅器を取り巻く厳しい環境だったそうです。待っていればどんどん仕事が舞い込んだ、あの時代の姿はどこにもありませんでした。
高岡銅器全体で見ると、1990年代の初期には約375億円の売り上げ規模だったのが、そこからは右肩下がりの一途となっていたのでした(ちなみに現在では約110億円までに縮小しています)。

「このままだったら、つぶれる」

そうとしか思えない状況でした。

「ウチは先ほど話したように『待っている仕事』でした。でも、それではもはや、やっていけません。自らプロダクトを打ち出さないといけない」
帰郷して折井着色所に入った現社長は、まず、銅器への色付け以外の工程を学ぼうと動きました。型づくり、鋳物の製造、彫金など……。

「高岡銅器は分業の世界ですから、意外とよその工程のことを知らなかったりするんですね。まずなにより、その状況を変えたかった。知らないと、動きようがないから」
先に触れたように、着色所の仕事は、銅器の生産における最後の工程です。社長は、だからこそ、そこに至るまでの素材や技法を学ばねば始まらない、と考えたのですね。

「今から思えば、そうやって学んだことがターニングポイントになった気がします」
その間も、折井着色所の売り上げはどんどん下がっていきます。焦る気持ちはあった。それでも学びを続けたそうです。

「仕事を取れる、製品を自ら生み出せるだけのスキルがないのですから。まず勉強していかないと」
自主勉強の場には、高岡銅器に携わる跡継ぎのほか、学生やサラリーマンもいました。そうしたメンバーが集まり、技術をただ学ぶだけではなく、高岡銅器の今後や、伝統工芸のこれからについて、議論を重ねていきました。

「今どき、干支の置物を誰が買うだろうか、なんて言うような話も交わしましたね」

着色所だから、勝負するのは…

「待つ」から「動く」への転換!(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

そして、こうした勉強会を続けるのと並行して、銅板への着色技術を会得しようと動き始めました。

「鋳物ではなくて、薄い銅板に色を付ければ、道は拓けるのではないかと考えたんです。従来の鋳物は初期コストがすごくかかります。少量生産には向かない。銅板であれば、製品展開の可能性は広がるはず」
そこには、加工屋であった折井着色所が、オリジナルの製品開発に向けて自ら舵を切るうえでの重要な決断があったとも聞きました。

「自分は『色屋』です。だから、勝負するのも『色』である」
ただし、鋳物に着色するのに比べると、薄い銅板に色を付けるのは至難の業でした。正確にいうと、色そのものは付くのですが、銅板には厚みがないので、バーナーで焼いたりする過程で、板の形が変形してしまいがちです。そのため、着色後の銅板を使ってなんらかの製品をつくるのが極めて難しい。

「なので、当時は、銅板に色を付けようと考える人は、まずいなかったのが事実です」
しかも、ここ高岡は「鋳物の街」です。わざわざ薄い銅板を用いて製品展開しようとは、ほぼ誰も考えていなかった、とも振り返ります。

「でも、ですよ。それを別の表現で捉えると、『自分が目指す道には誰もいない』わけです。その思いが支えになりました」

そもそも、業界内では、薄い銅板に昔ながらの伝統色を付けられるはずがないとの見方が大勢であり、実際、社長が試作してみたら、銅板の形が変わって使い物にならなかった。それだけに、見向きもされない発想ではあったようです。
銅板への着色をものにすべく悪戦苦闘を繰り返してしていた時期、先代社長である父親は彼をどう見ていたのでしょうか。

「最初は否定的でしたね。『(業績回復のために)もっとなにか、やるべき方法はないのか』と」
それが変わったのは、色付けに使う薬品の調合に成功し、ようやく銅板への着色への光が差してきた場面だったといいます。

「あるとき、父が『おまえのやっとること、もう分からんから、口出しはせんわ』と声をかけてくれました」
それが2000年のころだったそうです。父親の時代は、仕事に困る状況はまずありませんでした。でも次の時代は、待つだけでは到底無理。先代である父親はおそらく、そのことを悟ったのでしょう。

展示会に単独エントリーすると

「待つ」から「動く」への転換!(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

薄い銅板に伝統色を付けることは、ようやく叶いました。そして、モメンタムファクトリー・Oriiという法人も立ち上げました。でも、ここからが製品化の本番です。

「最初は、掛け時計やテーブルなどをごくわずかに製作して、知り合いに販売するくらいでしたね。売り先がないんです」

大きなきっかけをつかんだのは、東京ビッグサイトで催される「ギフトショー」に、高岡の仲間と一緒に出展したことでした。それが2005年のこと。
「ただし、仲間と共同のブースだったので、展示の仕方にはここの温度差がどうしてもあった。自分の世界観を出すには、単独出展が大事と理解しました」

2008年、社長は小さな展示会にエントリーします。新作の製品を引っさげて出展したところ……。
「インテリアショップの社長が声をかけてくれ、なんと全アイテムを購入してくれたんです。『こんな色が出るんだ』と驚いていました」

ここから、同社の快進撃が始まります。洒脱なデザイン、そして鮮やかな色合いの掛け時計、一輪挿し、コースター……。とりわけ2013年に発売したワインペールは、その美しさから大きな話題をさらっています。また、壁面を飾る建材としても、一般家庭から商業施設、公的施設まで、幅広いニーズを集めることとなりました。

売り上げの推移はどうだったのでしょうか。まず、現社長が1990年代半ばに高岡に帰郷してから最初の3年ほどで、売り上げは一気に半減。それが展示会に単独出展した2008年には、1990年代半ば当時の水準に戻します。さらに……。現在(2019年)は、その2008年当時の3.5倍の売上高に伸長。つまり、低迷期の1990年代末から見ると、6倍ほどになっているということですね。これだけ厳しい伝統工芸の世界に関わる中小企業としては、劇的な復活劇を遂げたと表現して差し支えないでしょう。

「オリイブルー」と評された瞬間

「待つ」から「動く」への転換!(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

社業が大きくブレイクしたのは、2013年ごろだったといいます。デザイナーを入れ、見本市に毎年出展し、新作をどんどんと登場させていった。
2014年のことでした。NHKの全国ネット番組で同社が取り上げられたとき……。出演者がこう言ったそうです。

「これはまさしく、『オリイブルー』ですね」

オリイブルーという表現は、同社や社長が自ら発した言葉ではありませんでした。この出演者が思わず口にしたセリフだったのです。そこが面白いところ。そしてこのオリイブルーという言葉は、社長が狙ったわけではなく、独り歩きしていくように広がってゆきます。さらに2017年、今度はフジテレビの番組でした。

「ああ、これが『オリイブルー』ですか」
この番組放映と同時に、同社のウェブサイトはパンクし、注文を受ける商品は「青」一色と化したそうです。色で勝負すると意を決してからの同社の努力が、まさに報われた場面であったと思います。

ここで尋ねてみたい。オリイブルーとはつまり、どんな色なのでしょう。

「僕のなかでの『確固たる色』ですね」
色そのものは存在しました。でも、薄い銅板でこの青を出せたのは、他ならぬ同社のオリジナルです。
輝いているようにも見えますし、また、ときには深く沈んでいるようにも見える。実に面白い色だと感じさせます。
さらに聞きたい。伝統工芸の世界は、どうあるべきなのでしょうか。

「時代に合わない部分があるのは事実なんです。なにかに固執しすぎると、そこから離れられず、昔からある道具などにただ加飾したり、色を変えたりするだけに留まってしまう。それでは、いい製品は生み出せません」
ではどうすればいい?

「僕は、世の中にないものをつくろうと決めました。具体的には、その素材と色です。そしてさらに言うと、『使ってもらえる製品である』こと、それが重要と思います」
そうですね。消費者にすんなりと手に取ってもらえ、そこに結果として伝統の技が入っていると気づかせる、その順序が大事なのでしょう。

「技をひけらかしてはいけないんです。これ見よがしに、われわれ職人が主張しては、製品はダサくなるんですよ」

次の一手は金属ではなかった

「待つ」から「動く」への転換!(有限会社モメンタムファクトリー・Orii)

今年の夏、同社は新たな取り組みに挑み始めました。これまでは銅がもっぱらの素材だったのですが、布にもオリイブルーを、と考えたのです。

オリイブルーに色付けされた銅板をスキャンし、その画像データをサテンなどの布地に転写するというものです。名付けて「オリイファブリック」。
なぜまた、布の分野に?

「ここまでウチはインテリアの分野を手がけてきました。次はファッションを、という思いです」

隣県である石川の金沢市に拠点のあるテーラーと連携し、鮮やかなオリイブルーの布地をオーダースーツやジャケットの裏地に使ってみようという試みが始まっています。

「銅板の色を布にプリントするというのには、抵抗がなかったわけではありません。肝心の銅板が売れなくなったら、元も子もないので」

それでも社長は踏み込みました。画像データの管理をしっかりと行い、テーラーと深く連携することで、生産体制も敷けました。

「大量に販売する予定は、現時点ではありません。小さなロットで、版権管理を抜かりなく進めながら展開するつもりです」

オリイファブリックで大儲けするというのではなく、この布の存在を知った顧客が、本家本元の銅板を使った製品にも関心を寄せてほしいというのが狙いなのですね。
地に足のついた、実に興味深い“次の一手”であると、私には思えました。

北村 森

北村 森

商品ジャーナリスト
サイバー大学IT総合学部教授
(元・日経トレンディ編集長)

PROFILE

富山県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。

月刊誌「日経トレンディ」編集長を経て、2008年に独立。
以来、商品ジャーナリストとして活動。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析、地方自治体や商工団体と連携する形で地域おこしのアドバイザー業務に携わっている。
2015~2016年、第1回「だれかのために考えた発明品アイデアプロジェクト」(東大阪ブランド推進機構)の総監修を担当し、全国からの反響を呼ぶ。
著作である『途中下車』は、2014年にNHK総合テレビにてドラマ化された。
2017年にはサイバー大学IT総合学部教授に就任(地域マーケティング論)。

サンデー毎日「北村森の一生逸品」、婦人公論「女の気になるキーワード」、家電批評「北村森のヒット商品虎の穴」、FCC REVIEW「旗を掲げる! 地方企業の商機」などの連載コラム執筆に携わるほか、NHKラジオ第1「Nらじ」など、テレビ・ラジオ番組でのコメンテーター、ゲスト出演多数。

日本マーケティング協会 マスターコース講師(マーケティング・コミュニケーション)
MM総研大賞 審査委員
富山県 推奨とやまブランド ものづくり部会 審査委員
いばらき大使/いばらきイメージアップ大賞 審査委員

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